愛おしくて、大好きで、大切で我が子そのものな フレブルはなちゃんが
7月19日(日) 夜8時半頃 逝ってしまった…。
前日の土曜日の午後に病院にお薬をもらいに行って
爪も切ってもらって、帰り道に
川の遊歩道にカバンから出してあげたら
こっちをちらりと見て、おちっこして
その後、10歩くらい歩いてご機嫌な顔をしていたのに。

久しぶりに歩いたよ♪って喜んでいるみたいだった。
2カ月くらいは居てくれると思っていたのに。。。
1か月前右前脚をびっこひいていたから
ソファーから降りるときにくじいた?と夫が病院に連れて行った。
(私は仕事だった)
検査したら捻挫や骨折ではなく、肺や胸に水がたまっていた。
胸骨と肺の間、心臓近くの太い血管を包むように 中皮腫が出来ていた。
1週間後に詳細な検査の結果で悪性ではなさそうですが
開けてみないと… と言われ 家族会議。
8年前 里親募集で我が家に迎えた日にトイレシートに付いた膿の様なもので
「あれ?」と思い即病院へ行くと
子宮蓄膿症が判明、即入院、即手術。
我が家に来る前 どうやら繁殖犬として使われていたらしく
お腹を何度か開けた痕があったらしい。
1週間後から やっと我が家で過ごせることが出来た。
血液検査でフィラリアも陽性。
フィラリアは5年くらいかかって やっと陰性に変わった。
お腹を何度も開かれたり、フィラリアになっちゃったり
辛い思いばかりだった はなちゃん。
推定年齢12歳に胸を開く大きな手術で
体力持つかわからないし、
上手くいっても 腫瘍は場所が場所だけに全部は取り除けません。
再発はします。
と言うような説明を受けて「じゃあ手術をしよう!」にはならなかった。
本当に神様、こんないい子のはなちゃんに 意地悪すぎるよ!!
色々な選択があると思いますが
我が家では手術で最悪お別れになったり
怖くて痛い思い、遠い病院で家族と離れて寂しい思いをするなら
お薬で行けるところまで。というのがみんなの意見。
はなちゃん自身はどう思ったかわからないけど。
この1か月、利尿剤、抗生物質、ステロイド剤などで過ごしました。
食いしん坊なのに食欲がなくなってきたのでバイタルが落ちて来てるのは
わかりました。
病院に行った翌日の19日の夜にぐんにゃりして逝ってしまった。
昨日までまだもう少し居てくれると思っていたのに。
翌日20日。 朝イチで電話したけれど祝日だからかいっぱいで荼毘に付すことができず。
21日の朝、部活に行く前の末っ子と私と娘の3人で最後にお別れで
ピンクのガーベラを添えてお別れするとき
氷で冷たいはずなのに、耳だけほんのり温かくて不思議でした。
お休みだった私と娘で夏空の中さよならしてきました。
夕方。
体力が無くなってからもずっといつもの散歩コースの森に行きたかったはなちゃん。
涼しくなったら行こうね も叶わず。
なので骨になってしまったはなちゃんをかばんに入れて
娘と末っ子と私とで「最後のお散歩」として
はなちゃんが歩きたかったコースを思い出を語りながら歩きました。
カワセミも見れました。
この8年間 はなちゃんとお散歩に行ったおかげで
色々なものを見れたし、楽しかったなぁ。

「最後の散歩」の夕方5時過ぎの空は加工無しの真っ青な雲のない夏空。
きっと初めて夏の暑い時間に外に出たね。

18日に見せてくれた笑顔は「楽しかった」と伝えたかったのかな。
今までお外で撮る写真はブレているか、ものすごく変顔ばかりだったのに
最後は可愛い顔を見て欲しかったのかな。
娘が小3、末っ子が年長さんの時に来たので
子育ての延長のような はなちゃんは4人目の子どもでした。
小さい2.、3歳の子が逝ってしまったようで
本当に苦しいです。
喪失感がものすごくて、朝起きたら嫌な夢から覚めて
普通にリビングに居るんじゃないかと期待してしまう。
私のアカウントでもある「me-hana」は私とはなちゃんから。
はなちゃんに出会えて私たち家族は幸せでした。
ずっとずっと大好きで、ずっとずっと忘れません。
ありがとうはなちゃん。たくさん頑張ったね。おやすみ。
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